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2018年3月18日説教

説教タイトル:神になりたい
聖書箇所:創世記3:1-19

録音機器の不調のため本日の説教が録音されておりませんでした
お詫びいたします

論壇 限りなく神に近い
 先週の11日から、イースター伝道礼拝をはじめました。今年は、なぜキリストの救いが必要であるかについて、聖書の教える人間理解をもとに考えることにしました。
 キリスト教は罪からの救いを強調します。それゆえ人間を否定的にとらえるのがキリスト教であるとの誤解を持つ方もいるようです。けれども、創世記1章にある、神が人を創造したことを教えるところを読むと、聖書が人を特別に貴いものと見ていることがわかります。「 神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(1:26-27)。
 人は神に創造されたもの、すなわち被造物でしかないのですが、①神に似ており、それゆえ神を知り、神との人格的関係を結ぶことができます。②神から地を従わせること、すなわち神の代理人として地を治めることが人に命じられています。
 特に我々に「かたどって」、「似せて」という言葉がわずか2節の中に繰り返されていて、人が単なる被造物でないことを印象づけています。
 聖書が人について語るとき、人が限りなく神に近いことを前提としています。善悪を認識することも、過去を振り返ることも、将来を予想することも、生と死の意味を問うことも、神について思い巡らすことも、すべて神に似せて造られた人間の特権です。
 罪を犯すことも人間に固有のことです。ただし、人間らしいことではなく、人間らしくないことです。それゆえ、罪から人を救うことがキリストの救いの中心なのです。ただし、罪からの救いとは、罪をおかさないようになることではありません。罪人であっても、キリストを救い主と信じて罪と死の支配から解放され、真に自由な者すなわち神の子として生きるようになることです。
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