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2018年4月15日説教

説教タイトル:こころの目を開くイエス
聖書箇所:ルカによる福音書24:28-53

論壇 福音を受け入れるとは
 3月11日からイースター伝道礼拝を、ルカ福音書を取り上げておこなってきました。キリストの昇天を教える今日の箇所でルカ福音書が終るので、一区切りつくことになります。
 Ⅰコリント15章1~5を読むと、福音とはキリストの死と復活のことであることがわかります。死と復活はコインの表と裏のごとく一体であり、分けることができません。しかし、一体であることは自然なこと、あるいは当然のことではなく、教えられることで理解し、受入れることのできるものです。
 イエス・キリストの処刑に直面した弟子たちは、絶望し、イエスが教えてきた神の国は失敗したと考えました。すなわち、弟子たちにとっても死と復活は一体ではありませんでした。
 それゆえ、復活したキリスト御自身が弟子たちに姿を現わし、手足を見せ、弟子たちの前で魚を食べるなどして、復活の事実を教えねばなりませんでした。ただし、ただ復活したという事実だけでなく、メシアの死と復活そのものが旧約聖書に書かれていたこと、すなわち神があらかじめ約束していたのであり、そのとおりに実現したのであることを、繰り返し教えねばなりませんでした。この再教育により、キリストの死と復活が表裏一体のものであることを弟子たちは理解することができたのですが、このことを「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いた」(24:45)とも、使徒言行録1章には、イエスは40日にわたって弟子たちに教えたとも記されています。これらのことから、死と復活が容易に理解できることではないことがわかります。
 教会に来たばかりの方がキリストの死と復活を本当のこととして受入れることは、簡単なことではありません。しかし、人にとって最後にして最大の敵である死を、死と復活によって無力にしたキリストの教えと行い、それを受入れてきたキリスト者を理解することで、福音の意味を知っていただきたいと願います。
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