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2018年4月29日説教

説教タイトル:わたしは道、心理、命
聖書箇所:ヨハネによる福音書第14章1~14節



論 壇 東・西で違う神観 (No,17)
東方正教会について理解するには、日本のハリストス正教会が出した『正教会の手引』が役立ちます。また、この書は、インターネットで『正教会の手引』を検索すると、PDFで入手できます。
西方伝統と東方伝統では、キリストによる贖いについて理解に違いがあります。西方におけるキリストの贖いは、罪を償うことによる救いであり、十字架の死がその核心です。東方における贖いは、キリストにより神の栄光にあずかって死の支配から解放されることであり、み子の受肉が救いの核心です。
この違いが端的に表れるのが幼児洗礼の意味です。わたしたちの教会の式文に、「私たちは、生まれながらに罪と咎(とが)と汚れのあるものですから、キリストの血と御霊による清めが必要です」とあります。「生まれながらの罪と咎と汚れ」とは、幼児もアダムの罪と堕落に連座しているとの理解です。堕落とは「アダムの最初の罪と罪責を負う」(小教理18)ことであり、その結果「神の怒りとのろいの下にあり、・・・永遠の地獄の刑罰」(19)の責めを幼児も負う。それゆえ、まだ何もしていない赤子にも罪を償う十字架の救いが必要であり、洗礼をさずけます。
東方伝統では、幼児洗礼に、罪や罪責、罪に対する神の怒りとのろいからの救い、という意味はありません。死の力から解放されてキリストの復活の命に生きる。このための洗礼です。
この違いから、東方と西方の神観も違ってきます。西方においては、罪に怒り、罪人を罰して償わせる正義の神。東方においては、神が人間性を取ったことで、人が神の本性にあずかって栄光化され、死ぬべき者から神の命に生きる者に生まれ変わる、この道をひらいた神です。東方には、のろい、さばき、罰する神はなじみません。
東方と西方を比べることで、わたしたちのキリスト教理解を知ることができます。

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