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2018年5月13日説教

説教タイトル:真理の霊を与える
聖書箇所:ヨハネによる福音書14:15-24

論壇 東方正教会における救い
 東方正教会における人間理解について記します。正教会では、神との交わりの中で成長することに人間本来の姿を見ます。
 この聖書的説明は次のとおりです。「我々に『かたどり』、我々に『似せて』人を造ろう」(創1:26)の聖句について、「かたどり」を神の「像」、「似せて」を「肖(しょう)」と区別します。像は神の姿に創造されたことを意味し、肖は神と交わり、その恵みの中で自分の意志と力で自らを向上させるべきあり方を意味しています。神に向かって栄光化されていくこと、これが正教会の人間理解です。
 しかし、アダムは罪によって自らに死を招いて堕落し、神の肖を達成できなくしてしまいました。この罪が病気のように蔓延したことで、各人が罪をおかして堕落し、肖を実現できなくなったのが人類の姿です。人間性そのものが力を失いました。
 正教会はキリストの救いを受肉に見るのですが、それは以下のような理解です。
 み子は、人間性を取って人となり、人としての生をまっとうしました。その生涯は、悪魔の誘惑を退け、神との交わりの中で神が望むあるべき人間の姿(肖)を具体的に実現していくことでした。肖を達成しただけでなく、人なるキリストが十字架に死んで復活したことにより、死に支配されていた人間性が死に勝利しました。このことの意味は、アダムが罪をおかして以降の人類の歴史がキリストにおいて訂正されるとともに、栄光に満ちたあるべき人の姿がキリストにおいて実現したということです。
 キリストのもとに、神と人との完全な交わりがあり、人が神の本性にあずかって栄光化される唯一の道があります。人がこのキリストを救い主と信じて従うことは、神との交わりに生きることであり、神の本性にあずかって栄光化されることにほかならない。これが正教会における救いの中心です。
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