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2017年9月17日説教

説教タイトル:どうして今は目が見えるのか
聖書箇所:ヨハネによる福音書9:13-34

論壇 敬老のお祝い
 天気予報は、明日の17日に大型の台風18号(タリム)が日本列島を縦断すると警報を出しています。それで敬老のお祝いがどうなるか少し心配しています。
 しかし、信仰生活を重ねてきた方たちであれば、台風以上の困難を何度も経験しきたことでしょう。その中には信仰上の試練もあったことと思います。教会では毎週礼拝後に入門クラスを行っています。ここには中山奥行名誉長老が出席しておられるのですが、あるとき「若い方には実感が持てないかもしれないが、わたしは天国を身近に感じて、本当に楽しみにしています」と話されました。若い方は「はい。まだ実感していません。」と正直です。キリスト教信仰は、信仰経験の違いにより各自の色合いというものもあるのですが、年月と共にキリストへの信頼は深まっていき、若い方たちはその信仰生活を見て学ぶようになります。このような聖徒の交わりがあって、東京教会の毎週の礼拝が豊かになっていきます。
 教会の迫害者から伝道者へと転身したパウロは、恵み深い神について「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」(ガラテヤ1:15)と書いています。迫害者であったにもかかわらず、母の胎内にあるときから神により選び分けられていたとする救いの不思議さは、わたしたちにも等しく当てはまります。
 母の胎を出て成長し、信仰を持ち、天国を身近に感じるようになるまでのすべてのことは、自分では忘れてしまっても父なる神は全部を覚えています。初めてキリスト教に触れたときのこと、求道生活、信ずる決心をしたこと、悩んだこと、聖書を読んで祈ったこと、雨の中を教会に通ったことなど、すべてが自分のものであり、神の恵みです。礼拝の恵みにともにあずかることができるよう、神の祝福と支えをお祈りいたします。
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