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2018年4月1日説教

説教タイトル:キリストの復活
聖書箇所:ルカによる福音書23:50-24:12

論壇 キリストの復活
 ルカ福音書によると、キリストの死がすぐに周りの人々を変えていきました。死刑執行の責任者である百人隊長が十字架のできごとを見て「本当にこの人は正しい人だった」と言って神を讃美しました(ルカ23:47)。「群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った」(48)。神の国を待ち望んでいた議員ヨセフは、勇敢にもピラトにイエスの遺体を引き取ることを願い出ます(50~)。
 ただし、この人たちが死んでなおキリストが救い主であるとの考えを持っていたわけではなく、この正しい人が死んだ事実により希望は失われたという心境にありました。 復活について聞かされていた女の弟子たちでさえ、週の初めの日の朝、もう一度丁寧に遺体を葬りたいと願って墓にやって来たのですから。
 しかし、墓穴は開いており、遺体がなく、二人のみ使がイエスは復活した、ガリラヤでイエスが語ったことを思い出せと語りかけました。「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」(24:7)。「必ず・・・・ことになっている」という書き方は、神の定めとしてそうなっているという意味をもった表記法です。
 「イエスの言葉を思い出した」(9)婦人たちは、復活したことを使徒たちに伝えに帰りましたが、使徒たちでさえ婦人の言葉を信じませんでした。すなわち、イエスが復活したことを受入れることができなかったのです。不思議な話です。
 墓がカラであったこと、み使が説明したこと、それだけでは復活信仰が共通の確信になることはなかったのです。復活したイエス自身があらわれ、そのからだを示し、触りたいなら触ってみろと自らを差しだそうとしたこと、そうすることでイエスの復活が受入れられていったのです。福音宣教のはじまりには、復活したイエスを目撃したという教会の証言があります。
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