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2018年6月24日説教

説教タイトル:「わたしは去っていくが」
聖書箇所:ヨハネによる福音書  第16章4~15節


論 壇 『横浜の女性宣教師たち』 (No,25)
毎週水曜日の研修所「キリスト教と女性」の講座に出席している方から、『横浜の女性宣教師たち』(横浜プロテスタント史研究会編 有隣堂)が研修所に寄贈されました。
 横浜開港から戦後復興まで横浜に関係する女性宣教師をほぼ網羅する254名を収録し、その中の48名を記事にまとめています。
 日本宣教における女性宣教師の活躍はよく知られています。最初の23年間に来日した宣教師の127名が男性、186名が女性であり、その後も女性の数が男性を圧倒していったとのこと。ただし、宣教師と呼ばれていても、女性信徒が海外宣教に従事したのであり、教師の身分をえていたわけではありません。
「第一章 女性海外伝道協会の成立」に、アメリカで女性宣教師が大勢誕生した経緯がまとめられています。19世紀後半に、職住分離が進み、中産階級において、女性は家庭を守るべきことになる中で、教会は家庭以外にゆるされた活動空間になった。アメリカでは1810年に初めて5人の男性宣教師をインドに送って以来、宣教師をアジア、アフリカに送るようになる。帯同した妻たちは虐げられた現地女性の境遇を知るが、因習により男性宣教師には近づけないため、宣教師の妻たちが女性宣教師の派遣を本国に求めはじめる。1861年、超教派の「米国婦人一致外国伝道協会」が結成され、同年、ビルマに最初の女性宣教師が派遣された。その後、教派別のほうがよい活動ができるとの判断で、教派ごとの女性海外伝道協会が立ち上がり、女性宣教師派遣がいっそう盛んになっていった。
19世紀のアメリカは女子教育の重要性が叫ばれた時代であり、女子初中等教育機関が数多く作られるのと同時に、初中等教育機関における女性教師の数が増えていった。この女性教師の中から女性宣教師となるものが多数おり、現地での女子教育に積極的に取り組むことにもなった。これらが日本におけるミッション系女学校の設立と関係しています。

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