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2018年8月26日説教

説教タイトル:真理とは何か
聖書箇所:ヨハネによる福音書18:28-38

今週の論壇はございません。
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2018年8月19日の説教について

本日、今井牧師は夏季休暇のため録音説教はございません。
論壇のみ掲載させていただきます。

論壇 琉球処分
 先週の論壇で琉球処分に言及しました。琉球処分とは、琉球王国を明治政府が1872年(明治5年)に琉球藩とし、1879年(明治12年)に沖縄県とすることで、日本に組み入れた政治過程を指します。
 琉球半島では、鎌倉時代にあたる12世紀ごろから一定の政治的勢力を持つ豪族が現れ、互いに抗争と和解を繰り返しながら次第に整理・淘汰され、1429年尚巴志(しょうはし)が主要な豪族を統括して、統一権力を確立しました。琉球王国の始まりです。
 琉球王国は、中国の清に服従し、朝貢する(冊封)王国でしたが、1609年に薩摩藩が琉球に侵攻して首里城を占拠しました。この後、江戸幕府から琉球の支配権を与えられた島津藩の統治に入ります。しかし、清との関係も切ることなく、両国の間で王国は存続してきました。
 明治維新後の1871年に琉球内の宮古の島民69人が台湾に漂着し、うち54人が現地住民に殺害されるという事件が発生した時、明治政府は、台湾に出兵して沖縄の日本帰属を認めさせます。政府は、琉球王国の実態を残すことを口実にして、72年に琉球王国を琉球藩、琉球王国を藩王とする旨を宣告しました。
 1875年、政府は琉球処分官松田道之を琉球に送り、①清国から冊封を受けることの禁止、②清国年号をやめて明示年号を使用すること、③明治政府への謝恩使として藩王自ら上京すること、などの要求を突きつけます。拒否する琉球藩に対して、軍隊300余り、警官160余りを送って、首里城を明け渡すよう激しく迫りました。その結果、藩王尚泰(しょうたい)が臣下とともに城を出て琉球王国は崩壊し、沖縄県が設置されるに至りました。
 琉球王国は、およそ450年に及ぶ王国であり、独自の文化を持っていましたが、力によって日本に組み込まれました。太平洋戦争では地上戦による数知れぬ悲劇が起こり、戦後は、1972年(昭和47年)までアメリカの直接統治下に置かれました。沖縄とは日本にとって何であるのか、大切な問いです。
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2018年8月12日説教

説教タイトル:お前の弟子の一人か
聖書箇所:ヨハネによる福音書18:12-27

論壇 沖縄問題
 8月は、6日広島に原子爆弾が投下された日、9日は長崎に原爆が落とされた日です。15日は終戦の日。
 原爆の投下された6日と9日は戦争の被害を思い起すとき、15日は戦争の加害者であることを主に考えるときであるといえます。この八月を過ごす中で、戦争には、加害と被害、加害者と被害者の両方があることを心に刻みたいと思います。
 加えて、今年は8日に翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が亡くなりました。米軍普天間飛行場の辺野古移設に強く反対し、移設を進める現政権と対峙してきた知事です。報道されているように、沖縄の問題とは、国土面積の0.6%の島に米軍専用施設の70%以上が集中していることです。「なぜ沖縄だけにこれほどの重荷をおしつけられねばならないのか」これが翁長知事の叫びです。
 沖縄問題は、過去の戦争における加害と被害という枠組みでは収まりません。では、いかなる問題なのでしょうか。過去ではなく、現在の問題です。将来にわたる軍事施設という点では将来の問題。
 翁長知事は保守本流を歩み、日米安保体制の必要も認めながら、辺野古問題では一歩も譲りませんでした。日米安保体制という点では外交問題。国内基地負担の問題としては国内問題。
 イデオロギーではなく、アイデンティティーという言葉で、保守・革新の対立を乗り越えて作り上げた「オール沖縄」。このオール沖縄で現政権と対峙するという点で、地方自治の問題であり、それ以上に沖縄対本土という問題。特に、琉球処分という歴史的観点から、沖縄の側に立てばそうなるのでしょう。
 この沖縄対本土という考えが、わたしたち本土の人間にはまったくわからないのではないか、そう思います。
 沖縄問題とは何であるのか。これは難しい問題ですが、各人が平和と軍事について考えるのによいテーマだと思います。

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2018年8月5日説教

説教タイトル:イエスの逮捕
聖書箇所:ヨハネによる福音書18:1-11

論壇 ソドムについて
 『まじわり』8月号に、わたしを名指しして、LGBTを教会が受け入れることに反対する文章が載っています。
 その文章の中で、同性愛者を神にさばかれて滅んだソドムと同じく罪深い者と書いていますが、創世記18,19章には両者を結びつけるものはありません。
 「ソドムとゴモラの罪は非常に重い」(18:20)とあり、その象徴的行為として、ロトの家に泊まった御使いを襲いに来るソドムの住民が描かれています。「なぶりものにしてやる」(19:5)、「乱暴なことはしないでください」(7)が示しているのは、暴力です。これが性的暴力であれば、レイプという犯罪行為であり、男女間か同性愛者間であるかの区別はありません。また、ロトが御使いを守るために娘2人を差し出すところで、男女間の暴力の場面に変ります。ソドムは、同性愛ではなく、暴力と関係します。
 同性愛者であるというだけでソドムと結びつけ、神にさばかれ、滅ぶべき者という烙印を押すことは、偏見であり、差別を生みます。異性に興味が向くことを理由に、異性愛者とソドムを結びつけ、神にさばかれるべき者とすることができるでしょうか。
 LGBT当事者の多くは、小さい頃から偏見や差別を受けてきたため、自分の性的特性が知られないように細心の注意を払い、身を潜めるようにして生活しています。しかもさまざまな社会的不利益を被っているため、自分の将来を明るく描くことの難しい境遇にあります。ソドムに象徴される暴力的な生き方とは正反対で、『まじわり』5月号に後藤香代子長老が記したように、世間からの有形無形の暴力を恐れながら生きているのです。先日来取りざたされている杉田水脈氏の、LGBTは生産性がない云々も彼らに対する暴力の一種です。
 LGBTが今日何を意味するかを知ることは大切です。偏見から解放されることは、互いの生き方を楽にしてくれます。
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