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2018年8月5日説教

説教タイトル:イエスの逮捕
聖書箇所:ヨハネによる福音書18:1-11

論壇 ソドムについて
 『まじわり』8月号に、わたしを名指しして、LGBTを教会が受け入れることに反対する文章が載っています。
 その文章の中で、同性愛者を神にさばかれて滅んだソドムと同じく罪深い者と書いていますが、創世記18,19章には両者を結びつけるものはありません。
 「ソドムとゴモラの罪は非常に重い」(18:20)とあり、その象徴的行為として、ロトの家に泊まった御使いを襲いに来るソドムの住民が描かれています。「なぶりものにしてやる」(19:5)、「乱暴なことはしないでください」(7)が示しているのは、暴力です。これが性的暴力であれば、レイプという犯罪行為であり、男女間か同性愛者間であるかの区別はありません。また、ロトが御使いを守るために娘2人を差し出すところで、男女間の暴力の場面に変ります。ソドムは、同性愛ではなく、暴力と関係します。
 同性愛者であるというだけでソドムと結びつけ、神にさばかれ、滅ぶべき者という烙印を押すことは、偏見であり、差別を生みます。異性に興味が向くことを理由に、異性愛者とソドムを結びつけ、神にさばかれるべき者とすることができるでしょうか。
 LGBT当事者の多くは、小さい頃から偏見や差別を受けてきたため、自分の性的特性が知られないように細心の注意を払い、身を潜めるようにして生活しています。しかもさまざまな社会的不利益を被っているため、自分の将来を明るく描くことの難しい境遇にあります。ソドムに象徴される暴力的な生き方とは正反対で、『まじわり』5月号に後藤香代子長老が記したように、世間からの有形無形の暴力を恐れながら生きているのです。先日来取りざたされている杉田水脈氏の、LGBTは生産性がない云々も彼らに対する暴力の一種です。
 LGBTが今日何を意味するかを知ることは大切です。偏見から解放されることは、互いの生き方を楽にしてくれます。
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