日本キリスト改革派東京教会 今井献牧師説教集
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日本キリスト改革派東京教会の今井牧師の説教集です。
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2019-02-03T12:03:46+09:00
ja
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2019年2月3日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2019-02-03
説教タイトル:教会の誕生聖書箇所:使徒言行録2:1-13190203_001.mp3今週の論壇はございません。
未分類
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2019-02-03T12:03:46+09:00
聖書箇所:使徒言行録2:1-13
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2019年1月27日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2019-01-27
※1月20日は機械の不調のため録音できていませんでした。申し訳ありません。説教タイトル:心を合わせて祈る聖書箇所:使徒言行録1:12-26190127_001.mp3論壇 長老主義教会 本日の会員総会において、長老・執事の改選と新任執事の選挙を行います。この機会に教会と役員について記します。 今日につながる新約の教会は、使徒言行録2章に記されているように、聖霊降臨によって誕生しました。わたしたちの教会は、長老主義という政治形態をとり、宣教長老(教師であり牧師)と治会長老が協力して教会を治めることになっています。この制度は、宗教改革においてローマ・カトリックの監督制教会を否定してあらわれたもので、それまではなかった形態です。 ただし、使徒言行録に見られる初代の教会が監督制であるということもできません。パウロは宣教して信者の群れが生まれると、すぐに信者の中から 長老(監督)を選んで群れを任せ、次の町へ伝道のために去っていきます。結局、使徒言行録の教会は使徒によって治められていた特殊な教会であるといえます。この使徒教会から、歴史的にまず監督制の教会が生まれ、宗教改革時代になって使徒の教会を模範にした長老制の教会が誕生しました。 カトリックの監督制と長老制との顕著な違いは、カトリックにおける役員(司教・司祭・助祭)には神学校にて神学を修了した者が当たるのに対し、長老制においては一般の信徒の中から治会長老と執事という役員が選出されることにあります。パウロが行ったとおりのことのようですが、それまでの歴史から考えるとありえないことでした。 これを可能としたのは、母語への聖書翻訳により信徒が聖書を直接読み、信条により聖書の基本的教えを一般信徒が理解したことで、教会全体の判断力が増したこと、そして説教と教会の言葉がラテン語から母語に変ったことです。これらにより、みことばの教師と信徒の中から選出された役員が、聖書・信条・教会規定などをもとにして教会統治において協力することができるようになりました。これらが長老制という教会統治を可能にしているといえます。
未分類
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2019-01-27T11:57:11+09:00
説教タイトル:心を合わせて祈る
聖書箇所:使徒言行録1:12-26
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論壇 長老主義教会
本日の会員総会において、長老・執事の改選と新任執事の選挙を行います。この機会に教会と役員について記します。
今日につながる新約の教会は、使徒言行録2章に記されているように、聖霊降臨によって誕生しました。わたしたちの教会は、長老主義という政治形態をとり、宣教長老(教師であり牧師)と治会長老が協力して教会を治めることになっています。この制度は、宗教改革においてローマ・カトリックの監督制教会を否定してあらわれたもので、それまではなかった形態です。
ただし、使徒言行録に見られる初代の教会が監督制であるということもできません。パウロは宣教して信者の群れが生まれると、すぐに信者の中から 長老(監督)を選んで群れを任せ、次の町へ伝道のために去っていきます。結局、使徒言行録の教会は使徒によって治められていた特殊な教会であるといえます。この使徒教会から、歴史的にまず監督制の教会が生まれ、宗教改革時代になって使徒の教会を模範にした長老制の教会が誕生しました。
カトリックの監督制と長老制との顕著な違いは、カトリックにおける役員(司教・司祭・助祭)には神学校にて神学を修了した者が当たるのに対し、長老制においては一般の信徒の中から治会長老と執事という役員が選出されることにあります。パウロが行ったとおりのことのようですが、それまでの歴史から考えるとありえないことでした。
これを可能としたのは、母語への聖書翻訳により信徒が聖書を直接読み、信条により聖書の基本的教えを一般信徒が理解したことで、教会全体の判断力が増したこと、そして説教と教会の言葉がラテン語から母語に変ったことです。これらにより、みことばの教師と信徒の中から選出された役員が、聖書・信条・教会規定などをもとにして教会統治において協力することができるようになりました。これらが長老制という教会統治を可能にしているといえます。
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2019年1月13日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2019-01-13
説教タイトル:わたしの証人となりなさい聖書箇所:使徒言行録1:1-11190113_001.mp3本日の論壇はございません。
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2019-01-13T11:49:09+09:00
聖書箇所:使徒言行録1:1-11
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2019年1月6日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2019-01-06
説教タイトル:御言葉を宣べ伝える聖書箇所:テモテへの手紙Ⅱ4:1-8190106_001.MP3今週の論壇はございません。
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2019-01-06T12:13:09+09:00
聖書箇所:テモテへの手紙Ⅱ4:1-8
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2018年12月30日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-12-31
説教タイトル:万民のための救い聖書箇所:ルカによる福音書2 : 22 - 38181230説教.MP3論壇 一年を終えるにあたり 今年最後の礼拝となりました。 今年は12月に日本聖書協会から『聖書 聖書協会共同訳』が出版されたことで、日本の教会全体にとっての節目の年になりました。また、新翻訳聖書出版に合わせて行われた9月の東部中会信徒修養会において、東京教会は当番教会の責任を果すことができました。翻訳聖書は、信徒の信仰生活が守られるために、また自分で聖書を読んで解釈する権利があること、すなわち聖書の個人解釈権のためにも不可欠です。それゆえ、個人解釈権は40周年宣言聖書論の大切な主張点です。 聖書の正典性(権威性)と文献性(歴史性)の区別も聖書論が強調したことであり、よりよい聖書解釈のために必要です。昨今取り上げられているセクシュアル・マイノリティの問題は、40周年聖書論の応用問題であるといえます。このようなこともあり、新しい翻訳聖書の出版は聖書論を学び直すよい機会です。 国立聖書教会との伝道協力については、よい実りを結びつつあります。国立への献金について、来年は20万円です。なお、来年の国立との合同修養会は、2月24日に国立の当番で行うことになりました。今年2月に合同修養会を行なったところ、9月よりも時期としてやりやすいということでした。献金は来年までですが、今後どのような関係を持つかが課題であることを11月の役員懇談会で確認しました。2月には、今後の協力のありかたについても協議することになると思います。 今年8月に、東京教会創立の時からの会員であり、教会を長く支えてこられた名誉長老が召されたことはとても残念です。しかし、受洗者と信仰告白を行った契約の子が与えられました。喜ばしいことも悲しいことも同じ神から与えられることを思わないではいられません。
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tokyo-ch
2018-12-31T01:00:12+09:00
聖書箇所:ルカによる福音書2 : 22 - 38
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論壇 一年を終えるにあたり
今年最後の礼拝となりました。
今年は12月に日本聖書協会から『聖書 聖書協会共同訳』が出版されたことで、日本の教会全体にとっての節目の年になりました。また、新翻訳聖書出版に合わせて行われた9月の東部中会信徒修養会において、東京教会は当番教会の責任を果すことができました。翻訳聖書は、信徒の信仰生活が守られるために、また自分で聖書を読んで解釈する権利があること、すなわち聖書の個人解釈権のためにも不可欠です。それゆえ、個人解釈権は40周年宣言聖書論の大切な主張点です。
聖書の正典性(権威性)と文献性(歴史性)の区別も聖書論が強調したことであり、よりよい聖書解釈のために必要です。昨今取り上げられているセクシュアル・マイノリティの問題は、40周年聖書論の応用問題であるといえます。このようなこともあり、新しい翻訳聖書の出版は聖書論を学び直すよい機会です。
国立聖書教会との伝道協力については、よい実りを結びつつあります。国立への献金について、来年は20万円です。なお、来年の国立との合同修養会は、2月24日に国立の当番で行うことになりました。今年2月に合同修養会を行なったところ、9月よりも時期としてやりやすいということでした。献金は来年までですが、今後どのような関係を持つかが課題であることを11月の役員懇談会で確認しました。2月には、今後の協力のありかたについても協議することになると思います。
今年8月に、東京教会創立の時からの会員であり、教会を長く支えてこられた名誉長老が召されたことはとても残念です。しかし、受洗者と信仰告白を行った契約の子が与えられました。喜ばしいことも悲しいことも同じ神から与えられることを思わないではいられません。
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2018年12月23日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-12-24
説教タイトル:救い主の誕生聖書箇所:ルカによる福音書2:1 - 21181223_001.MP3論壇 キリストへの信頼 本日はクリスマス記念礼拝です。また、礼拝の中で信仰告白式を行います。 信仰者の子どもは、生まれてしばらくすると幼児洗礼をうけて未陪餐会員(聖餐にあずかれない教会員)となります。分別年齢に達して自分の意志でキリストを救い主と受入れるとき、その信仰を神と教会の前で公に表明し、陪餐会員となります。いわば一人前のキリスト者になるということであり、聖餐にあずかることができるようになります。 信仰とは、イエス・キリストにおいてご自分をあらわしておられる神を知り、神として受け入れ、信頼することです。 また、キリストは、神が人となったお方ですから、神を知り、受け入れ、信頼するとは、キリストを神とし、心から信頼することであるといえます。 マリアは、約束の救い主を自分が生むことを、天使ガブリエルを通して告げられたとき、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と語り、全面的に神を信頼して自分自身を差し出しました。夫のヨセフも、マリアの身に起こったことを受け入れ、その責任を果たしました。 羊飼いは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げられると、「『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」。天使を通して告げられたことを疑わず受入れ、すぐさま会いに行くところに、羊飼いの信仰があらわれています。 神への信仰は、置かれた立場と状況により違った形であらわれるのですが、疑うことなく信頼する点で一致しています。
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tokyo-ch
2018-12-24T03:01:28+09:00
聖書箇所:ルカによる福音書2:1 - 21
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論壇 キリストへの信頼
本日はクリスマス記念礼拝です。また、礼拝の中で信仰告白式を行います。
信仰者の子どもは、生まれてしばらくすると幼児洗礼をうけて未陪餐会員(聖餐にあずかれない教会員)となります。分別年齢に達して自分の意志でキリストを救い主と受入れるとき、その信仰を神と教会の前で公に表明し、陪餐会員となります。いわば一人前のキリスト者になるということであり、聖餐にあずかることができるようになります。
信仰とは、イエス・キリストにおいてご自分をあらわしておられる神を知り、神として受け入れ、信頼することです。
また、キリストは、神が人となったお方ですから、神を知り、受け入れ、信頼するとは、キリストを神とし、心から信頼することであるといえます。
マリアは、約束の救い主を自分が生むことを、天使ガブリエルを通して告げられたとき、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と語り、全面的に神を信頼して自分自身を差し出しました。夫のヨセフも、マリアの身に起こったことを受け入れ、その責任を果たしました。
羊飼いは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げられると、「『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」。天使を通して告げられたことを疑わず受入れ、すぐさま会いに行くところに、羊飼いの信仰があらわれています。
神への信仰は、置かれた立場と状況により違った形であらわれるのですが、疑うことなく信頼する点で一致しています。
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2018年12月16日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-12-16
説教タイトル:悪は悪、善は善なのか聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙5:16-26181216_001.MP3論壇 『聖書 聖書協会共同訳』 『聖書 聖書協会共同訳』が出版されました。「続編」の付いているものと、付いていないものがあります。続編とは、正典(聖書)ではないが旧約と新約の間を埋める歴史的価値のある書です。 口語訳から新共同訳になったときに、ペテロがペトロ、カペナウムがカファルナウム、使徒行伝が使徒言行録というように固有名詞や書名がだいぶ変わりましたが、今回そのような変更は基本的になく、新共同訳の表記を踏襲しています。段落ごとの小見出しも、一部新共同訳と違いますがついています。引照聖句に加えて、注を付けて、定本に関する説明、直訳、別訳、補足などを入れています。巻末に聖書地図や用語解説を付けたのは新共同と同じですが、地図はカラー、用語解説は若干詳しくなっています。 今回出版の聖書は、中型に引照聖句と注を付けたため、本文の活字が小さく、読みづらくなりました。今後、引照聖句の欄を取って活字を大きくしたもの、小型、大型、講壇用、新約のみなど、いろいろな聖書が作られるはずです。実際に教会で使われるようになるのは、それからだと思います。 ロマ書1:17「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(新共同訳)が「神の義が、福音の内に、真実から信仰へと啓示されているからです」に変りました。神の義が「神の真実から人の信仰へ」と啓示される、という解釈を取ったことによります。 レビ記13章の、口語訳「らい病(ハンセン病)」、新共同訳「重い皮膚病」と訳されたツァラアトが「規定の病」となりました。マルコ1:40なども同じ。聖書が描く当時の地域にはハンセン病は伝わっておらず、レビ記の記述がハンセン病に当てはまらないこと、ツァラアトの語源も意味もわからないことゆえ、聖書が「定めている病」の意味で「規定の病」としています。(巻末の用語解説参照)
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tokyo-ch
2018-12-16T11:59:46+09:00
聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙5:16-26
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論壇 『聖書 聖書協会共同訳』
『聖書 聖書協会共同訳』が出版されました。「続編」の付いているものと、付いていないものがあります。続編とは、正典(聖書)ではないが旧約と新約の間を埋める歴史的価値のある書です。
口語訳から新共同訳になったときに、ペテロがペトロ、カペナウムがカファルナウム、使徒行伝が使徒言行録というように固有名詞や書名がだいぶ変わりましたが、今回そのような変更は基本的になく、新共同訳の表記を踏襲しています。段落ごとの小見出しも、一部新共同訳と違いますがついています。引照聖句に加えて、注を付けて、定本に関する説明、直訳、別訳、補足などを入れています。巻末に聖書地図や用語解説を付けたのは新共同と同じですが、地図はカラー、用語解説は若干詳しくなっています。
今回出版の聖書は、中型に引照聖句と注を付けたため、本文の活字が小さく、読みづらくなりました。今後、引照聖句の欄を取って活字を大きくしたもの、小型、大型、講壇用、新約のみなど、いろいろな聖書が作られるはずです。実際に教会で使われるようになるのは、それからだと思います。
ロマ書1:17「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(新共同訳)が「神の義が、福音の内に、真実から信仰へと啓示されているからです」に変りました。神の義が「神の真実から人の信仰へ」と啓示される、という解釈を取ったことによります。
レビ記13章の、口語訳「らい病(ハンセン病)」、新共同訳「重い皮膚病」と訳されたツァラアトが「規定の病」となりました。マルコ1:40なども同じ。聖書が描く当時の地域にはハンセン病は伝わっておらず、レビ記の記述がハンセン病に当てはまらないこと、ツァラアトの語源も意味もわからないことゆえ、聖書が「定めている病」の意味で「規定の病」としています。(巻末の用語解説参照)
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2018年12月9日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-12-09
説教タイトル:神はいるのか聖書箇所:創世記1章181209_001.mp3論壇 神と科学 神は本当にいるのか。科学の時代に神は生き残ることができるのか。そう考える方がいると思います。 講談社から、ブルーバックスという科学専門の新書が出ており、昔から理系の高校生がよく読んでいました。今年の7月に、ブルーバックスから『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキンスまで』(三田一郎)が出版されました。著者は、名古屋大学名誉教授で、いくつもの賞を取った宇宙物理学の学者にしてカトリックの助祭です。幼児洗礼を受けてはいたが、宗教に関心がなく、研究に没頭していたとのこと。しかし、50代にさしかかったとき、宇宙のはじまりであるビッグバン(宇宙の瞬間的発生と大膨張)の中でおきていたことを研究する中で、宇宙をつくる神の意志を感じて、神学を学び聖職者にもなったという科学者です。 高校生から「先生は科学者なのに、科学の話の中で神を持ち出すのは卑怯ではないか」と質問され、科学と神について相いれないとする考えにどう答えたらよいかがテーマになったそうです。 この本は、キリスト教と聖書を概説した後、コペルニクスからはじまって、宇宙についての最新の学説とおもな学者を追っていきます。ビッグバン理論は、真空のエネルギーをもとに、光速をはるかに超えるスピードで宇宙が生成して膨張したこと、この大膨張は宇宙全体が一様に膨張したのではなく、泡のように局所的な膨張が無限に起き、その泡それぞれが一つの宇宙になるので多数の宇宙を作ること、ここまで進んでいるのだそうです。 学問として宇宙誕生を徹底的に突き詰め、この美しい物理法則を作った神をあがめる。神が創造したとは、人類は決して宇宙を解明できず、無限に探求し続けるということ。これが三田氏にとっての科学と神の関係です。ホーキンスは無神論者と言われますが、晩年は物理法則を誰かが意志をもって作ったと考えたかったようです。
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tokyo-ch
2018-12-09T11:59:55+09:00
聖書箇所:創世記1章
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論壇 神と科学
神は本当にいるのか。科学の時代に神は生き残ることができるのか。そう考える方がいると思います。
講談社から、ブルーバックスという科学専門の新書が出ており、昔から理系の高校生がよく読んでいました。今年の7月に、ブルーバックスから『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキンスまで』(三田一郎)が出版されました。著者は、名古屋大学名誉教授で、いくつもの賞を取った宇宙物理学の学者にしてカトリックの助祭です。幼児洗礼を受けてはいたが、宗教に関心がなく、研究に没頭していたとのこと。しかし、50代にさしかかったとき、宇宙のはじまりであるビッグバン(宇宙の瞬間的発生と大膨張)の中でおきていたことを研究する中で、宇宙をつくる神の意志を感じて、神学を学び聖職者にもなったという科学者です。
高校生から「先生は科学者なのに、科学の話の中で神を持ち出すのは卑怯ではないか」と質問され、科学と神について相いれないとする考えにどう答えたらよいかがテーマになったそうです。
この本は、キリスト教と聖書を概説した後、コペルニクスからはじまって、宇宙についての最新の学説とおもな学者を追っていきます。ビッグバン理論は、真空のエネルギーをもとに、光速をはるかに超えるスピードで宇宙が生成して膨張したこと、この大膨張は宇宙全体が一様に膨張したのではなく、泡のように局所的な膨張が無限に起き、その泡それぞれが一つの宇宙になるので多数の宇宙を作ること、ここまで進んでいるのだそうです。
学問として宇宙誕生を徹底的に突き詰め、この美しい物理法則を作った神をあがめる。神が創造したとは、人類は決して宇宙を解明できず、無限に探求し続けるということ。これが三田氏にとっての科学と神の関係です。ホーキンスは無神論者と言われますが、晩年は物理法則を誰かが意志をもって作ったと考えたかったようです。
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2018年12月2日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-12-02
説教タイトル:人間は不思議だ聖書箇所:詩編8編181202_001.mp3論壇 人間は不思議だ 今週から23日までをクリスマス伝道礼拝とし、初心者にも理解できる礼拝を行います。 キリスト教における人間についての教えは多面的ですが、一般の人々には誤解があるかもしれません。それは、人間をすぐ罪人扱するので、人間を否定的に見ているという誤解です。 クリスマスは救い主であるキリストが誕生したことをお祝いする日であることはよく知られています。けれども、聖書は、誕生から十字架の死と復活までのキリストの生涯全体が救いのできごとであると教えています。それゆえ、神のみ子の誕生は十字架の死を目指すものでした。 み子が命を捨てる覚悟でお生まれになったことが本当であれば、神はそれほどにわたしたちを愛しておられるということです。神の愛を受けるに価するほどわたしたちは貴い、これがキリスト教の人間理解の根本です。 詩編8編の6節には、神による人間の創造を「神に僅(わずか)かに劣るものとして人を造り」とあります。 神と人の差はわずか。これが神が創造した人間の立場です。それゆえ、神が創造した世界が人の手にゆだねられたのです。 今年のクリスマス伝道礼拝の全体テーマは「人間は不思議」です。人間の体、心、ふるまい、知性など、どれをとっても不思議なことがたくさんあります。その原因は、つきつめるなら、人は神にわずかに劣るものでしかないからです。その中でも、神を求め、神とやり取りしたいという欲求、願いを持っていること、これほど不思議なことはありません。世界中、どこに行っても、神々が祭られています。先日、秋田のナマハゲが文化遺産になったとのニュースがありました。ナマハゲは、来訪神というのだそうです。神なしでは生きられないのが人間です。 今年のクリスマスは、神との関係でわたし、また人間を考えてみてはいかがでしょうか。~お知らせ~東京教会ホームページが新しくなりました。(https://www.rcj.gr.jp/tokyo/) あるいは「改革派東京教会」で検索してください。説教は、これまで通り(https://tokyochurch.blog.so-net.ne.jp/)でも、新しいホームページからでも聞くことができます。手違いにより、旧ホームページ(http://www005.upp.so-net.ne.jp/tokyo-ch/)がまだ残っています。ご容赦くだ..
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tokyo-ch
2018-12-02T12:11:26+09:00
聖書箇所:詩編8編
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論壇 人間は不思議だ
今週から23日までをクリスマス伝道礼拝とし、初心者にも理解できる礼拝を行います。
キリスト教における人間についての教えは多面的ですが、一般の人々には誤解があるかもしれません。それは、人間をすぐ罪人扱するので、人間を否定的に見ているという誤解です。
クリスマスは救い主であるキリストが誕生したことをお祝いする日であることはよく知られています。けれども、聖書は、誕生から十字架の死と復活までのキリストの生涯全体が救いのできごとであると教えています。それゆえ、神のみ子の誕生は十字架の死を目指すものでした。
み子が命を捨てる覚悟でお生まれになったことが本当であれば、神はそれほどにわたしたちを愛しておられるということです。神の愛を受けるに価するほどわたしたちは貴い、これがキリスト教の人間理解の根本です。
詩編8編の6節には、神による人間の創造を「神に僅(わずか)かに劣るものとして人を造り」とあります。
神と人の差はわずか。これが神が創造した人間の立場です。それゆえ、神が創造した世界が人の手にゆだねられたのです。
今年のクリスマス伝道礼拝の全体テーマは「人間は不思議」です。人間の体、心、ふるまい、知性など、どれをとっても不思議なことがたくさんあります。その原因は、つきつめるなら、人は神にわずかに劣るものでしかないからです。その中でも、神を求め、神とやり取りしたいという欲求、願いを持っていること、これほど不思議なことはありません。世界中、どこに行っても、神々が祭られています。先日、秋田のナマハゲが文化遺産になったとのニュースがありました。ナマハゲは、来訪神というのだそうです。神なしでは生きられないのが人間です。
今年のクリスマスは、神との関係でわたし、また人間を考えてみてはいかがでしょうか。
~お知らせ~
東京教会ホームページが新しくなりました。(https://www.rcj.gr.jp/tokyo/) あるいは「改革派東京教会」で検索してください。
説教は、これまで通り(https://tokyochurch.blog.so-net.ne.jp/)でも、新しいホームページからでも聞くことができます。
手違いにより、旧ホームページ(http://www005.upp.so-net.ne.jp/tokyo-ch/)がまだ残っています。ご容赦ください。
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2018年11月25日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-11-28
説教タイトル:わたしに従いなさい聖書箇所:ヨハネによる福音書21:20-25181125_001.mp3今週の論壇はございません。
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tokyo-ch
2018-11-28T18:51:03+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書21:20-25
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2018年11月18日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-11-18
説教タイトル:ペトロ、わたしを愛するか聖書箇所:ヨハネによる福音書21:15-19181118_001.mp3論壇 洗礼の恵み 朝拝にて洗礼式を行います。洗礼は、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ28:19)と聖書が記しているとおり、キリストが命じた礼典です。 キリストの救いにあずかるのは、キリストを神のみ子にして唯一の救い主と信じる信仰によります。それゆえ、わたしたちはキリストを信じたときに救われ、救われているゆえに神の子のしるしとしての洗礼を受けるのです。 洗礼を受けるには誓約が求められます。誓約とは、キリストにおいてあらわれた神を生涯にわたって信じること、約束された救いをまことの希望とすることを、神と教会の前で約束することです。 この決意に対して、父なる神は洗礼という儀式によって、神の子の身分と、すべての特権とを保証してくださるのです。 洗礼は生涯の中でただ一度の儀式ですが、自分が受けた洗礼を思いおこすたびに、「私は、キリストを信じると神にも自分にも約束したではないか」、「父なる神は、この自分を神の子として受け入れ、聖霊によって守ると宣言してくださったではないか」と自らに言い聞かせることができます。このように、洗礼を生涯にわたってよく用いることが大切です。 ウ告白28章1節に、洗礼の意味について、「恵みの契約、キリストに接ぎ木されること、再生、罪のゆるし、イエス・キリストによって自分を神にささげて新しく歩くことのしるし、また証印となる」と書いています。最初にでてきた「恵みの契約」とは、父・子・聖霊なる神が罪人を、恵みにより、一方的に救うとの約束です。 各自が洗礼を受けた時のことを思い起してください。
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tokyo-ch
2018-11-18T11:59:06+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書21:15-19
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論壇 洗礼の恵み
朝拝にて洗礼式を行います。洗礼は、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ28:19)と聖書が記しているとおり、キリストが命じた礼典です。
キリストの救いにあずかるのは、キリストを神のみ子にして唯一の救い主と信じる信仰によります。それゆえ、わたしたちはキリストを信じたときに救われ、救われているゆえに神の子のしるしとしての洗礼を受けるのです。
洗礼を受けるには誓約が求められます。誓約とは、キリストにおいてあらわれた神を生涯にわたって信じること、約束された救いをまことの希望とすることを、神と教会の前で約束することです。
この決意に対して、父なる神は洗礼という儀式によって、神の子の身分と、すべての特権とを保証してくださるのです。
洗礼は生涯の中でただ一度の儀式ですが、自分が受けた洗礼を思いおこすたびに、「私は、キリストを信じると神にも自分にも約束したではないか」、「父なる神は、この自分を神の子として受け入れ、聖霊によって守ると宣言してくださったではないか」と自らに言い聞かせることができます。このように、洗礼を生涯にわたってよく用いることが大切です。
ウ告白28章1節に、洗礼の意味について、「恵みの契約、キリストに接ぎ木されること、再生、罪のゆるし、イエス・キリストによって自分を神にささげて新しく歩くことのしるし、また証印となる」と書いています。最初にでてきた「恵みの契約」とは、父・子・聖霊なる神が罪人を、恵みにより、一方的に救うとの約束です。
各自が洗礼を受けた時のことを思い起してください。
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2018年11月11日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-11-11
説教タイトル:イエス、弟子、魚聖書箇所:ヨハネによる福音書21:1-14181111_001.mp3論壇 現在の祈祷会 水曜日の祈祷会は夜7時から行っています。今は12月に刊行予定の『聖書 聖書協会共同訳』の準備として発行された「新翻訳事業パイロット版」(新約聖書分冊)を読んでいます。 このパイロット版は、広く意見を求めるため、翻訳のできたものから順次分冊で発行されたものです。祈祷会では、これまでガラテヤ書、ロマ書、Ⅰテモテ書、Ⅰペテロ書、ヤコブ書を読みました。毎回、比較的長く読んで文意を大づかみに理解することに努めています。礼拝ではないので、比較的自由に出席者が意見や感想を述べることで理解が深まるなど、聖書をみんなで読む楽しさがあります。パイロット版で「キリストの信実」となっているが、12月に刊行される完成版では「キリストの真実」に変わるのかどうかなど、確認したい箇所がふえてきました。1人ではパイロット版を読む機会を持つのは難しいので、祈祷会は貴重な時間になっています。 『聖書 聖書協会共同訳』は、現在使用している『新共同訳聖書』を発行している日本聖書協会から刊行されるものであり、『新共同訳聖書』をふまえているので、全体として大きく変わるものではありません。新共同訳より簡潔な文体を心がけているようです。 祈祷会の現在の出席者は多いとはいえませんが、多様で、このことも祈祷会を楽しいものにしています。 住居、勤務地、教会が離れているので祈祷会の出席は難しいという方も多いのですが、短い時間であっても教会の現状を理解し、教会のため、会員のため、広く社会のために祈る水曜夜の祈祷会のよさは特別です。昔はどの教会でも青年が出席して祈り、世代を超える交わりを持つなど、成長する場所でした。
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tokyo-ch
2018-11-11T11:57:26+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書21:1-14
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論壇 現在の祈祷会
水曜日の祈祷会は夜7時から行っています。今は12月に刊行予定の『聖書 聖書協会共同訳』の準備として発行された「新翻訳事業パイロット版」(新約聖書分冊)を読んでいます。
このパイロット版は、広く意見を求めるため、翻訳のできたものから順次分冊で発行されたものです。祈祷会では、これまでガラテヤ書、ロマ書、Ⅰテモテ書、Ⅰペテロ書、ヤコブ書を読みました。毎回、比較的長く読んで文意を大づかみに理解することに努めています。礼拝ではないので、比較的自由に出席者が意見や感想を述べることで理解が深まるなど、聖書をみんなで読む楽しさがあります。パイロット版で「キリストの信実」となっているが、12月に刊行される完成版では「キリストの真実」に変わるのかどうかなど、確認したい箇所がふえてきました。1人ではパイロット版を読む機会を持つのは難しいので、祈祷会は貴重な時間になっています。
『聖書 聖書協会共同訳』は、現在使用している『新共同訳聖書』を発行している日本聖書協会から刊行されるものであり、『新共同訳聖書』をふまえているので、全体として大きく変わるものではありません。新共同訳より簡潔な文体を心がけているようです。
祈祷会の現在の出席者は多いとはいえませんが、多様で、このことも祈祷会を楽しいものにしています。
住居、勤務地、教会が離れているので祈祷会の出席は難しいという方も多いのですが、短い時間であっても教会の現状を理解し、教会のため、会員のため、広く社会のために祈る水曜夜の祈祷会のよさは特別です。昔はどの教会でも青年が出席して祈り、世代を超える交わりを持つなど、成長する場所でした。
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2018年11月4日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-11-04
説教タイトル:信じる者になりなさい聖書箇所:ヨハネによる福音書20:24-31181104_001.mp3論壇 全員協議会報告 先週「これからの東京教会」のテーマで協議会を行いました。長老が統計を用いて改革派教会全体と東京教会の現状を説明し、教派全体として礼拝出席者数・現住陪餐会員が減少していること、今年になって礼拝出席が落ち込んでいることを指摘しました。 協議会全体として、①教会内での教育と伝道、すなわち契約の子に対する信仰教育や教会員の家族への伝道、②教会外に向けての伝道がありますが、①についておろそかにせず、取り組むべきとの複数の意見が上がりました。 契約の子の信仰教育については、各個教会だけでなく、中会(小学4年からのキャンプ、高校生会、学生会)や大会での取り組みもあります。信仰の友人を得たことは大きな財産であり、積極的に参加を進めていただきたいと願います。 配偶者への伝道は、どの教会においても課題です。強いてはいけないし、何もしなくてよいのかということもあります。関係する会員との話し合いながら、進めていくことになります。 求道者への働きかけについては、入門クラスがあり、洗礼に至る一つの形になっています。それ以外に、牧師の個別的教育が大変役に立ったとの意見もありました。 牧師が契約のこと聖書を読み続けたことが役立ったとの経験も語られました。 礼拝出席者数が減少していることについて、目標とする出席人数をあげて、礼拝出席を奨励することの必要性も上がりました。 朝拝、夕拝、祈祷会を中心とする各人の教会生活を充実させることで、教会全体が伝道する力を高めることが基本です。
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tokyo-ch
2018-11-04T12:13:51+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書20:24-31
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論壇 全員協議会報告
先週「これからの東京教会」のテーマで協議会を行いました。長老が統計を用いて改革派教会全体と東京教会の現状を説明し、教派全体として礼拝出席者数・現住陪餐会員が減少していること、今年になって礼拝出席が落ち込んでいることを指摘しました。
協議会全体として、①教会内での教育と伝道、すなわち契約の子に対する信仰教育や教会員の家族への伝道、②教会外に向けての伝道がありますが、①についておろそかにせず、取り組むべきとの複数の意見が上がりました。
契約の子の信仰教育については、各個教会だけでなく、中会(小学4年からのキャンプ、高校生会、学生会)や大会での取り組みもあります。信仰の友人を得たことは大きな財産であり、積極的に参加を進めていただきたいと願います。
配偶者への伝道は、どの教会においても課題です。強いてはいけないし、何もしなくてよいのかということもあります。関係する会員との話し合いながら、進めていくことになります。
求道者への働きかけについては、入門クラスがあり、洗礼に至る一つの形になっています。それ以外に、牧師の個別的教育が大変役に立ったとの意見もありました。
牧師が契約のこと聖書を読み続けたことが役立ったとの経験も語られました。
礼拝出席者数が減少していることについて、目標とする出席人数をあげて、礼拝出席を奨励することの必要性も上がりました。
朝拝、夕拝、祈祷会を中心とする各人の教会生活を充実させることで、教会全体が伝道する力を高めることが基本です。
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2018年10月28日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-10-28
説教タイトル:平和があるように聖書箇所:ヨハネによる福音書20:19-23181028_001.mp3論壇 東京教会の課題3 東京教会の伝道については、伝道委員会も考えていますが、会員全体の祈りと協力がどうしても必要です。 これまで有効であったのは、クリスマス前の伝道礼拝とクリスマス賛美礼拝、CSクリスマス祝会を用いての伝道です。残念ながら突然召されてしましましたが、矢野孝昭執事はクリスマスに教会にきて受洗に至りました。その他にも、クリスマス時期に教会に誘われて礼拝に出席するようになった方がおられます。 ホームページを上手に使うことがより求められています。来会者が住所を新来者カードに書かなくなり、そのゆえお礼のはがきを出すことができなくなりました。ただし、今は教会に来る前にホームページで確認する方が多いので、一度来た方はホームページを開くこともあるはずです。 東京教会は都心にあるので知人などを連れてくることの距離的困難があるかもしれません。しかし、鉄道網を見ると東京教会の地の利はとても良いので、不特定多数へのホームページによる案内は有効だと考えます。現在、四ツ谷を含む都心はマンション建築が盛んです。新住民の中にクリスチャンもいるはずで、地域伝道にもつながるのではないかと思います。また、地方の信徒が上京するときにはホームページを見るはずです。 今後、日本に働きに来る外国籍のクリスチャンも増えます。その方たちにも開かれた教会になることは大切です。 新来会者への伝道について考えると、礼拝そのものがイエス・キリストを理解してもらう最善の方法であり、機会です。そえゆえ、牧師として、きちんとした説教を行うことに一層努めたいと思います。信者・未信者の区別なく教会の魅力は礼拝と説教です。東京教会のホームページには毎週の説教をあげています。きちんとした説教とはなにかは一言では言えませんが、毎週公開していることにより緊張感があることは確かです。礼拝がより充実する教会全体で祈っていきましょう。
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tokyo-ch
2018-10-28T12:13:38+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書20:19-23
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論壇 東京教会の課題3
東京教会の伝道については、伝道委員会も考えていますが、会員全体の祈りと協力がどうしても必要です。
これまで有効であったのは、クリスマス前の伝道礼拝とクリスマス賛美礼拝、CSクリスマス祝会を用いての伝道です。残念ながら突然召されてしましましたが、矢野孝昭執事はクリスマスに教会にきて受洗に至りました。その他にも、クリスマス時期に教会に誘われて礼拝に出席するようになった方がおられます。
ホームページを上手に使うことがより求められています。来会者が住所を新来者カードに書かなくなり、そのゆえお礼のはがきを出すことができなくなりました。ただし、今は教会に来る前にホームページで確認する方が多いので、一度来た方はホームページを開くこともあるはずです。
東京教会は都心にあるので知人などを連れてくることの距離的困難があるかもしれません。しかし、鉄道網を見ると東京教会の地の利はとても良いので、不特定多数へのホームページによる案内は有効だと考えます。現在、四ツ谷を含む都心はマンション建築が盛んです。新住民の中にクリスチャンもいるはずで、地域伝道にもつながるのではないかと思います。また、地方の信徒が上京するときにはホームページを見るはずです。
今後、日本に働きに来る外国籍のクリスチャンも増えます。その方たちにも開かれた教会になることは大切です。
新来会者への伝道について考えると、礼拝そのものがイエス・キリストを理解してもらう最善の方法であり、機会です。そえゆえ、牧師として、きちんとした説教を行うことに一層努めたいと思います。信者・未信者の区別なく教会の魅力は礼拝と説教です。東京教会のホームページには毎週の説教をあげています。きちんとした説教とはなにかは一言では言えませんが、毎週公開していることにより緊張感があることは確かです。礼拝がより充実する教会全体で祈っていきましょう。
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2018年10月21日説教について
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-10-21
本日は講壇交換のため録音説教はございません。ご了承ください。論壇のみ掲載させていただきます。論壇 国立聖書教会 本日の礼拝は国立聖書教会との講壇交換であり、野島邦夫先生には朝拝説教と午後の講演を行っていただきます。国立聖書教会と東京教会は伝道協力の関係にあります。 この伝道協力は2011年から始まりました。私が国立聖書教会代理牧師であったとき、野島先生を牧師として招聘するにあたって、東京伝道のために協力することを東京教会が決議したことによります。 国立聖書教会は1969年にCRJM(キリスト改革派日本伝道会)の開拓伝道所によって始まった群です。信者が集まっては、何らかの問題が起こって小さくなるということが繰り返されてきたのですが、この教会は西東京にあって、八王子、青梅ばかりではなく京王線や南部線沿線という広い範囲を伝道圏としているので、将来性が大いにあるといえます。 協力の内容は、互いのために祈ること、夏のCS合同キャンプ、9月の合同修養会、10月の講壇交換と講演会、11月の懇親会、国立への献金などです。今年は9月の中会修養会実行委員会を東京教会が引き受けていましたが、国立からの協力があり大変助かりました。献金については、2016年から漸減しており、今年は40万円です。国立聖書教会のために祈り、捧げてくださることに感謝いたします。教勢が上向きなので経済的自立も視野に入りつつあるようです。 中会修養会では、野島先生が今年の12月に刊行される共同訳聖書に関する講演をされました。先生は翻訳事業において日本語本文を精査する部門に携わっていたので適役でした。また翻訳事業における日本語部門は、ただ日本語と格闘するのではなく、ギリシャ語原文に照らして日本語訳が適切であるか精査する部門ですから、ドイツで新約学を学び学位を取得した先生にとって、その成果を発揮する場であったと思います。
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tokyo-ch
2018-10-21T15:48:46+09:00
論壇のみ掲載させていただきます。
論壇 国立聖書教会
本日の礼拝は国立聖書教会との講壇交換であり、野島邦夫先生には朝拝説教と午後の講演を行っていただきます。国立聖書教会と東京教会は伝道協力の関係にあります。
この伝道協力は2011年から始まりました。私が国立聖書教会代理牧師であったとき、野島先生を牧師として招聘するにあたって、東京伝道のために協力することを東京教会が決議したことによります。
国立聖書教会は1969年にCRJM(キリスト改革派日本伝道会)の開拓伝道所によって始まった群です。信者が集まっては、何らかの問題が起こって小さくなるということが繰り返されてきたのですが、この教会は西東京にあって、八王子、青梅ばかりではなく京王線や南部線沿線という広い範囲を伝道圏としているので、将来性が大いにあるといえます。
協力の内容は、互いのために祈ること、夏のCS合同キャンプ、9月の合同修養会、10月の講壇交換と講演会、11月の懇親会、国立への献金などです。今年は9月の中会修養会実行委員会を東京教会が引き受けていましたが、国立からの協力があり大変助かりました。献金については、2016年から漸減しており、今年は40万円です。国立聖書教会のために祈り、捧げてくださることに感謝いたします。教勢が上向きなので経済的自立も視野に入りつつあるようです。
中会修養会では、野島先生が今年の12月に刊行される共同訳聖書に関する講演をされました。先生は翻訳事業において日本語本文を精査する部門に携わっていたので適役でした。また翻訳事業における日本語部門は、ただ日本語と格闘するのではなく、ギリシャ語原文に照らして日本語訳が適切であるか精査する部門ですから、ドイツで新約学を学び学位を取得した先生にとって、その成果を発揮する場であったと思います。
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2018年10月14日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-10-14
説教タイトル:この岩の上に教会を建てる聖書箇所:マタイによる福音書16:13-20181014_001.mp3論壇 東京教会の課題2 本日の礼拝は東京教会創立記念礼拝です。東京教会は1954年10月17日、東部中会により、東京伝道を推進するために設立されました。 日本基督改革派教会は、1946年4月に8教会およそ200名の会員ではじまりました。首都圏には森元町教会(現東京恩寵教会)と北浦和教会しかないままであったこと、東京に人が流れ込んでいたこともあり、東京伝道を求める声が教派全体の中で高まっていました。そのような中、東部中会は矢内昭二先生を招聘して教会を設立し、新たな伝道を開始しました。 設立時の東京教会会員数は、現住陪餐会員16名、他住会員1名、未陪餐会員4名です。礼拝は、55年4月まで新教出版社2階、61年7月まで飯田橋の助産婦会館を借りて行っていました。同年8月から、CRC宣教師館を購入した四谷にて礼拝を開始しました。この時取得した土地は現在の会堂部分であり、71年に隣接地を清重氏(越智祐子姉の御父上)から購入して現在の敷地になりました。会堂・牧師館もなく始まった伝道でしたが、神の守りと会員の献身が実りを結んできました。会堂がないことの困難さを知る矢内先生は、CRCに対して会堂の必要性を説いたことで、それまでなかった会堂建築がCRCの宣教方針となります。 東京教会は、第一次横浜伝道(現横浜教会)、第二次横浜伝道(現横浜中央教会)、羽生伝道支援(現羽生栄光教会)などを行ってきました。現在の国立伝道支援はこれらに続くものといえます。 教会は、伝道が第一の使命です。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(Ⅱテモテ4:2)と聖書が教えているとおり、東京教会も一人ひとりが、また全体として伝道に励むことが求められています。これから、クリスマスに向けて伝道のために祈り、できることを行っていきましょう。
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tokyo-ch
2018-10-14T12:06:37+09:00
聖書箇所:マタイによる福音書16:13-20
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論壇 東京教会の課題2
本日の礼拝は東京教会創立記念礼拝です。東京教会は1954年10月17日、東部中会により、東京伝道を推進するために設立されました。
日本基督改革派教会は、1946年4月に8教会およそ200名の会員ではじまりました。首都圏には森元町教会(現東京恩寵教会)と北浦和教会しかないままであったこと、東京に人が流れ込んでいたこともあり、東京伝道を求める声が教派全体の中で高まっていました。そのような中、東部中会は矢内昭二先生を招聘して教会を設立し、新たな伝道を開始しました。
設立時の東京教会会員数は、現住陪餐会員16名、他住会員1名、未陪餐会員4名です。礼拝は、55年4月まで新教出版社2階、61年7月まで飯田橋の助産婦会館を借りて行っていました。同年8月から、CRC宣教師館を購入した四谷にて礼拝を開始しました。この時取得した土地は現在の会堂部分であり、71年に隣接地を清重氏(越智祐子姉の御父上)から購入して現在の敷地になりました。会堂・牧師館もなく始まった伝道でしたが、神の守りと会員の献身が実りを結んできました。会堂がないことの困難さを知る矢内先生は、CRCに対して会堂の必要性を説いたことで、それまでなかった会堂建築がCRCの宣教方針となります。
東京教会は、第一次横浜伝道(現横浜教会)、第二次横浜伝道(現横浜中央教会)、羽生伝道支援(現羽生栄光教会)などを行ってきました。現在の国立伝道支援はこれらに続くものといえます。
教会は、伝道が第一の使命です。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(Ⅱテモテ4:2)と聖書が教えているとおり、東京教会も一人ひとりが、また全体として伝道に励むことが求められています。これから、クリスマスに向けて伝道のために祈り、できることを行っていきましょう。
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2018年10月7日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-10-07
説教タイトル:わたしは主を見た聖書箇所:ヨハネによる福音書20:11-18181007_001.mp3論壇 東京教会の課題Ⅰ 来週は東京教会の創立記念礼拝です。創立50周年(2004年)の時に作った東京教会長期計画を確認すると、東京教会の「基本方針」は以下の三点です。 1. 歴史的改革派信仰による伝道と教会形成に励む 2. 東京伝道に励むとともに地方教会を支える 3. 大・中会に奉仕し、神戸改革派神学校と改革派神学研修所を支える1については当たり前のことのようですが、では改革派信仰とは何かについて考えることが求められています。それ以上に、伝道に実際に励むことが必要です。 2については、東京教会はもともと東京伝道のために設立されたという経緯があることに加え、地方伝道が困難となっていた現実があります。甲信・東北・四国出身の信徒によって首都圏の教会が支えられていることも事実です。長老たちが礼拝の公同の祈りの中で地方伝道のために祈っていることには意味があります。 3については、大・中会的視野を持つこと、捧げること、会堂を提供すること、大・中会の役員として働くこと。実際に牧師・長老が、大中会委員や研修所運営委員として奉仕しています。 この基本方針のもと、「長期的課題と目標」として以下の2点を掲げています。 1. 100人の現住陪餐会員を有する教会となることを祈り求める 2. これまでに東京教会は、第1次横浜伝道、第2次横浜伝道、羽生伝道支援などを行ってきた。今後も、独自に、あるいは伝道協力によって新たな伝道を行っていくことが東京教会の大切な使命である。その準備として、2004年に伝道基金を設置する。また、2010年には新たな伝道について協議を始めたい。以下略。 国立支援は2です。1は現在の最重要課題です。
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tokyo-ch
2018-10-07T12:26:34+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書20:11-18
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論壇 東京教会の課題Ⅰ
来週は東京教会の創立記念礼拝です。創立50周年(2004年)の時に作った東京教会長期計画を確認すると、東京教会の「基本方針」は以下の三点です。
1. 歴史的改革派信仰による伝道と教会形成に励む
2. 東京伝道に励むとともに地方教会を支える
3. 大・中会に奉仕し、神戸改革派神学校と改革派神学研修所を支える
1については当たり前のことのようですが、では改革派信仰とは何かについて考えることが求められています。それ以上に、伝道に実際に励むことが必要です。
2については、東京教会はもともと東京伝道のために設立されたという経緯があることに加え、地方伝道が困難となっていた現実があります。甲信・東北・四国出身の信徒によって首都圏の教会が支えられていることも事実です。長老たちが礼拝の公同の祈りの中で地方伝道のために祈っていることには意味があります。
3については、大・中会的視野を持つこと、捧げること、会堂を提供すること、大・中会の役員として働くこと。実際に牧師・長老が、大中会委員や研修所運営委員として奉仕しています。
この基本方針のもと、「長期的課題と目標」として以下の2点を掲げています。
1. 100人の現住陪餐会員を有する教会となることを祈り求める
2. これまでに東京教会は、第1次横浜伝道、第2次横浜伝道、羽生伝道支援などを行ってきた。今後も、独自に、あるいは伝道協力によって新たな伝道を行っていくことが東京教会の大切な使命である。その準備として、2004年に伝道基金を設置する。また、2010年には新たな伝道について協議を始めたい。以下略。
国立支援は2です。1は現在の最重要課題です。
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2018年9月30日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-09-30
説教タイトル:復活の朝聖書箇所:ヨハネによる福音書20:1-10180930_001.mp3論壇 改革派神学研修所 本日の第五献金は改革派神学研修所のためにささげます。研修所は、1970年、当時の東部中会に属する教師を中心とする有志によってはじまった神学教育機関であり、教師候補者の神学教育、教師の相互研修、信徒の神学教育を行ってきました。運営は、年に二回行われる運営委員会が経済その他の全体の運営に責任を持ち、年に6回開く教務連絡会が教務に責任を持っています。運営に必要な資金は、賛助金という自発的献金によりまかなわれています。現在の所長は川杉安美先生です。稲田正平長老は財務担当の運営委員です。また、9月から新年度がはじまります。 9月10日に2019年度の運営委員会を行いました。会計報告を掲示板が掲示にあります。昨年度の賛助金は、予算300万円に対し、約292万円がささげられました。支出は、①神学生関係、②講師関係費、③活動関係にまとめられており、予算約370万円に対し決算約335万円でしたが、その内の140万円は奨学基金積立金に支出しました。現在、神学生がおらず、神学生関係の支出がないためです。通常神学生1人について年間、一般奨学金に60万円、特別奨学金に60万円、教材費6万円、交通費15万円が必要であり、神学生のいないときに奨学金を積み立ることも必要です。 東北には研修所仙台教室があり、年間50万円をこのために支出しています。 研修所のカリキュラムが掲示板にあります。現在は正規の神学生がおらず、木曜日を中心とする教師の相互研修と、信徒教育が主たる活動になっています。私は金曜日2限「英書講読 ジュネーブ信仰問答」と3限「カルヴァン神学入門」(教文館)の講読を担当しています。カリキュラムを見て興味を持った方は出席してみてはいかがでしょうか。 研修所のために祈り、献金によって支えてくださることに感謝いたします。
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tokyo-ch
2018-09-30T11:59:28+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書20:1-10
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論壇 改革派神学研修所
本日の第五献金は改革派神学研修所のためにささげます。研修所は、1970年、当時の東部中会に属する教師を中心とする有志によってはじまった神学教育機関であり、教師候補者の神学教育、教師の相互研修、信徒の神学教育を行ってきました。運営は、年に二回行われる運営委員会が経済その他の全体の運営に責任を持ち、年に6回開く教務連絡会が教務に責任を持っています。運営に必要な資金は、賛助金という自発的献金によりまかなわれています。現在の所長は川杉安美先生です。稲田正平長老は財務担当の運営委員です。また、9月から新年度がはじまります。
9月10日に2019年度の運営委員会を行いました。会計報告を掲示板が掲示にあります。昨年度の賛助金は、予算300万円に対し、約292万円がささげられました。支出は、①神学生関係、②講師関係費、③活動関係にまとめられており、予算約370万円に対し決算約335万円でしたが、その内の140万円は奨学基金積立金に支出しました。現在、神学生がおらず、神学生関係の支出がないためです。通常神学生1人について年間、一般奨学金に60万円、特別奨学金に60万円、教材費6万円、交通費15万円が必要であり、神学生のいないときに奨学金を積み立ることも必要です。
東北には研修所仙台教室があり、年間50万円をこのために支出しています。
研修所のカリキュラムが掲示板にあります。現在は正規の神学生がおらず、木曜日を中心とする教師の相互研修と、信徒教育が主たる活動になっています。私は金曜日2限「英書講読 ジュネーブ信仰問答」と3限「カルヴァン神学入門」(教文館)の講読を担当しています。カリキュラムを見て興味を持った方は出席してみてはいかがでしょうか。
研修所のために祈り、献金によって支えてくださることに感謝いたします。
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9月23日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-09-23
説教タイトル:「イエスの埋葬」聖書箇所:ヨハネによる福音書第19章31~42節180923_001.MP3論 壇 中会修養会を終えて (No,38) 9月17日(月)に東部中会修養会が予定通り所沢市民文化センター「ミューズ」で開催されました。テーマは「聖書が『いのちのことば』になるためには」、講師が野島邦夫先生でした。参加者は総数295名(内教師33名、引退教師3名、長老47名、執事48名、伝道所委員14名、子ども=CS出席者15名)でした。主催が東部中会教育委員会、東京教会は当番教会、すなわち実行委員会として奉仕しました。次の当番教会である青葉台教会の執事3名が受付、国立聖書教会の執事と信徒が名札係として加わってくださいました。国立聖書教会からは、事前に手伝の申し出をいただきました。国立の助けなしには名札で人が滞ったはずで、大変助かりました。東京教会のCS教師たちは、開会・閉会礼拝を除いて、別プログラムで子どもたちの世話に当たりました。 奉仕者たちが互いに補い合うことで修養会を無事に行うことができました。東京教会の修養会委員の中山善弘長老、稲田浩平執事、中山真衣姉の働きに主にあって感謝いたします。教育委員会との連絡・調整が大変でした。 今年中に『聖書 聖書協会共同訳』が刊行される予定です。野島先生が講演の最後で話されたように、聖書には正典性と文献性の両面があります。正典性とは、聖書がキリストにある救いをもたらす生ける神のことばである、という面のことです。わたしたちが聖書に神的権威を認めて、その教えに服従するということでもあります。文献性とは、聖書であっても人間が書き、それを集めたものであること、すなわち古文書としての面があるということです。 40周年聖書論は、聖書にある正典性と文献性の両面を正しく位置づけました。聖書翻訳は古典文献学の手法を使うのですが、訳された聖書は生ける神のことばです。新しい翻訳聖書が刊行されたなら、ぜひよく読んでください。そのための修養会でした。
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tokyo-ch
2018-09-23T12:54:16+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書第19章31~42節
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論 壇 中会修養会を終えて (No,38)
9月17日(月)に東部中会修養会が予定通り所沢市民文化センター「ミューズ」で開催されました。テーマは「聖書が『いのちのことば』になるためには」、講師が野島邦夫先生でした。参加者は総数295名(内教師33名、引退教師3名、長老47名、執事48名、伝道所委員14名、子ども=CS出席者15名)でした。
主催が東部中会教育委員会、東京教会は当番教会、すなわち実行委員会として奉仕しました。次の当番教会である青葉台教会の執事3名が受付、国立聖書教会の執事と信徒が名札係として加わってくださいました。国立聖書教会からは、事前に手伝の申し出をいただきました。国立の助けなしには名札で人が滞ったはずで、大変助かりました。東京教会のCS教師たちは、開会・閉会礼拝を除いて、別プログラムで子どもたちの世話に当たりました。
奉仕者たちが互いに補い合うことで修養会を無事に行うことができました。東京教会の修養会委員の中山善弘長老、稲田浩平執事、中山真衣姉の働きに主にあって感謝いたします。教育委員会との連絡・調整が大変でした。
今年中に『聖書 聖書協会共同訳』が刊行される予定です。野島先生が講演の最後で話されたように、聖書には正典性と文献性の両面があります。正典性とは、聖書がキリストにある救いをもたらす生ける神のことばである、という面のことです。わたしたちが聖書に神的権威を認めて、その教えに服従するということでもあります。文献性とは、聖書であっても人間が書き、それを集めたものであること、すなわち古文書としての面があるということです。
40周年聖書論は、聖書にある正典性と文献性の両面を正しく位置づけました。聖書翻訳は古典文献学の手法を使うのですが、訳された聖書は生ける神のことばです。新しい翻訳聖書が刊行されたなら、ぜひよく読んでください。そのための修養会でした。
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2018年9月16日説教
https://tokyochurch.blog.ss-blog.jp/2018-09-16
説教タイトル:成し遂げられた聖書箇所:ヨハネによる福音書19:28-37180916_001.mp3論壇 敬老のお祝いの日に 「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです」(ヘブライ3:6)。 今年の敬老の日は、先月中山善郎名誉長老がキリストのもとへ召されたことにより、これまでと幾分違います。東京教会は、東部中会が東京伝道を進めるために矢内昭二先生を立てて1954年に設立したことではじまりましたが、このとき若き中山兄は温代姉とともに参加されました。創立に参加したご夫妻が健在であることは教会にとっての大きな祝福であると思ってきました。 冒頭の聖句は、キリストが神の家を忠実に治めると書いています。しかしこれはことの半分であって、「確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです」とあるとおり、わたしたちなしには神の家、教会は成り立ちません。 いかなる「わたしたち」であるかについて、聖句は、第一にキリストにある救いの「確信」、第二に「希望に満ちた誇り」を持ち続ける者であることを教えています。この確信と誇りについて、改革派教会は歴史的改革派信仰を基礎としてきました。 わたしは20年前に東京教会に赴任しましたが、そのときの長老をはじめとして、東京教会全体が改革派信仰に対する確信と誇りとを持っていました。 冒頭の聖句には「持ち続ける」とあり、この点がとても大切です。東京教会が会堂を持たずに苦労したときから、改革派信仰による伝道と教会形成を行うことに確かな希望を持ち、力を尽くしてきた方たちのこれまでのお働きに感謝いたします。これまでの東京教会の信仰的姿勢がよき伝統となり、受け継がれていくことがわたしたちの教会にとっての真の財産です。 主イエス・キリストに信頼を置き、伝道と教会形成に励むことが、神の家である東京教会にふさわしいと考えます。
未分類
tokyo-ch
2018-09-16T11:56:44+09:00
聖書箇所:ヨハネによる福音書19:28-37
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論壇 敬老のお祝いの日に
「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです」(ヘブライ3:6)。
今年の敬老の日は、先月中山善郎名誉長老がキリストのもとへ召されたことにより、これまでと幾分違います。東京教会は、東部中会が東京伝道を進めるために矢内昭二先生を立てて1954年に設立したことではじまりましたが、このとき若き中山兄は温代姉とともに参加されました。創立に参加したご夫妻が健在であることは教会にとっての大きな祝福であると思ってきました。
冒頭の聖句は、キリストが神の家を忠実に治めると書いています。しかしこれはことの半分であって、「確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです」とあるとおり、わたしたちなしには神の家、教会は成り立ちません。
いかなる「わたしたち」であるかについて、聖句は、第一にキリストにある救いの「確信」、第二に「希望に満ちた誇り」を持ち続ける者であることを教えています。この確信と誇りについて、改革派教会は歴史的改革派信仰を基礎としてきました。
わたしは20年前に東京教会に赴任しましたが、そのときの長老をはじめとして、東京教会全体が改革派信仰に対する確信と誇りとを持っていました。
冒頭の聖句には「持ち続ける」とあり、この点がとても大切です。東京教会が会堂を持たずに苦労したときから、改革派信仰による伝道と教会形成を行うことに確かな希望を持ち、力を尽くしてきた方たちのこれまでのお働きに感謝いたします。これまでの東京教会の信仰的姿勢がよき伝統となり、受け継がれていくことがわたしたちの教会にとっての真の財産です。
主イエス・キリストに信頼を置き、伝道と教会形成に励むことが、神の家である東京教会にふさわしいと考えます。
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