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2017年6月4日説教

説教タイトル:永遠の命に生きる
聖書箇所:ヨハネによる福音書6:22-33

論壇 宗教改革2
 先週の全員協議会では、中島長老の発題により宗教改革について学びました。8月の全員協議会では石田長老が宗教改革について発題する予定です。9月17日には国立教会と合同修養会がありますが、そこではわたしが宗教改革について発題します。
 ルターが当初告発したことは、キリストの救いにあずかるためには、当時さかんに売られていた贖宥状(免罪符)を買っても罪の償いとならず、何の役にも立たないということでした。
 この主張に対するカトリック教会の反撃に応えていく中で、ルターはカトリック教会そのものに反旗を翻すことになります。
 全員協議会の中で、宗教改革前の宗教改革者といわれるジョン・ウィクリフやヤン・フスにより、すでにルターに似た福音主義が主張されていたのではないかとの質問が出ました。聖書翻訳の必要、信徒が聖書を読んで解釈する権利したことや、ローマ・カトリックの教会論に反対したことにおいて、後のプロテスタント的な主張に通じるところはあったのですが、信仰義認という教理的な点においては聞いたことがないと思いました。それで、何冊か確認したのですが、やはり信仰義認という教えについては、ウィクリフたちが先駆者であるということにはならないようです。
 ロマ書1章17節における「神の義」について、当初ルターは罪人を裁く神の義と理解し、神の前での恐れから抜け出せませんでした。しかし、この「神の義」を、キリストを信じる信仰のゆえに罪人を義と認める神のあわれみであると「発見」したことで心の平安をえるにいたりました。いわば信仰義認の発見であり、これを宗教改革的「突破」と呼ぶこともあります。
 この信仰義認は、プロテスタント共通の教理となり、カトリック教会を批判する重要な判断基準ともなったことで、カトリックにとっては妥協できない邪説となりました。

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