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2017年11月19日説教

説教タイトル:ラザロ、出てきなさい
聖書箇所:ヨハネによる福音書11:28-44

論壇 聖なる者になれ
 レビ記は、神殿を中心とする祭儀とその規則をとおして、イスラエルに聖なるものになることを命じる書です。
 そのことを教えるために、祭儀を司る大祭司アロンとその子どもたちに起こった悲劇が10章に記されています。
 8章と9章で、アロンが大祭司に任職され、その4人の子どもも祭司として聖別されるのですが、その直後の10章で2人の子が規定に違反したことにより命を取られます。「アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。」
 神が命を奪った理由について次のように記されています。「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである」(10:10)。主のおきてを通して聖と俗、清いものと汚れたものを教えるべき立場の祭司が、任命直後に主と主のおきてを軽視したからです。
 次の11章から16章にかけて、動物、魚類、鳥類などの清いものと汚れたものの区別、出産の汚れと清めの定め、重い皮膚病の汚れ、家屋のかびの汚れ、男女の漏出の汚れなど、今日では意味不明、あるいは理不尽に感じられる規定が続きます。これらの区別は、他の民族の異教的習慣からイスラエルを分離して、神の民に留まらせるためのいわば教材です。
 これらの規定の中に、「あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。」(11:44)と記して、神に救われた者として自らを聖別することが命じられています。
 レビ記にある儀式律法は今は効力を持ちませんが、キリストの犠牲によって罪の世から救い出された(聖別された)者にふさわしく生きるという根本原理は同じです。
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