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2018年3月25日説教

説教タイトル:十字架の死
聖書箇所:ルカによる福音書23:32-49

論壇 受難週を迎えて
 イエスは2人の犯罪人とともに十字架にかけられました。その内の1人はイエスをののしり、もう1人は「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と願いました。するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答えました。
 2人は、イエスと無関係に生きてきたにもかかわらず、この時のイエスに対する態度により、その運命が大きく分れました。ひとは最後の最後まで生きている限り救われ可能性があることを教えてくれます。
 あなたは「今日」、すなわち遠い将来ではなく、この処刑の日に楽園にいるわたしと一緒に楽園にいる、とイエスは語りました。このことの意味ですが、イエス自身十字架における最後のことば「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と結びつけるとわかってきます。イエスは、父のもとにあげられるとの確信を持って平安のうちに息を引き取りました。父から委ねられた救い主としての使命をまっとうし、ご自分を信じる者に救いをもたらすことを確信した姿です。それゆえ、明日をも待たず、今日のうちに「わたしとともに」楽園、すなわち神のもとにいると語ることができたのです。
 この2人の犯罪人は、わたしたちにとって2000年前の見知らぬ男たちではなく、福音を聞くわたしたち自身の姿です。「この方は何も悪いことをしていない」にもかかわらず、罪人の1人として十字架にかけられたことの意味を神のことばである聖書をとおして教えられて、救い主イエス・キリストを必要とするかどうかが問われています。
 わたしたちは、自分が何者で何をしているのかわからず、十字架のイエスをあざ笑う者たちと同じように、大切な救いを取り逃がすことがないようにしましょう。救いとは、キリストにおいて、神をわたしの父と呼ぶ関係をえることです。
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